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2009/09/11

「グルッペン」国内35年ぶり演奏 ~聴衆に「別の耳」要求~

 9月9日読売新聞朝刊に松平あかね氏による先日の「グルッペン」演奏会の批評が掲載されていた。

 先日のサントリホールのサマー・フェスティバルの最終日にサントリー財団40周年記念事業の一環の特別公演として演奏されたのがカールハインツ・シュトックハウゼンのグルッペン。この曲は客席の左右と正面に3つのオーケストラが配置されそれぞれを3人の指揮者が指揮し、それぞれのオケでテンポが異なったり音がぐるぐるまわったり協調したりするという空間音楽。
 作曲されたのは50年も前だが日本で演奏されるのは初演以来35年ぶりという。
 ウェブで感想を書いている人たちはそれなりにいるが概ね好評・・・というよりこの曲が聴けただけで満足している風がないでもないので、ようやく批評らしい批評に巡り会えた。

 NHK交響楽団は、さすがに大崩れはしないものの、リズムや強度の変化が不明瞭だったほか、音響バランスのばらつきも気になった。また、客席をつぶして総譜の指示よりも高い位置にステージを増設したため、3舞台に囲まれた席につくと穴蔵の底から地上を見上げるよう。しかも席が減ったぶん、作曲者の意図に反して、多くの観客が外縁から聴くことになった。

 う~ん、この評が当たってるのかどうか実際に聴いていないから何とも言えないんですけどね。

 ところで<グルッペン>の意味するところはまだある。作曲者はひとつの音の高さや長さだけでなく、色合いや強さなど複数の要素を「セリー」とよばれる体系へ個別に組み込んで作曲し、さまざまな楽器の音を織り合わせてできた響きを群ととらえた。それはやがて個々の音にほぐれ、離合集散をくりかえす。群を一本の木にたとえれば、個々の音はさしずめ嵐のなか揺らめく木の葉といったところか。森の木々が何枚の葉で構成されているかを誰も把握できないように、比率計算で導きだされた複雑な音像から個々の音を聴取するのはもはや不可能だ。
 しかしそれこぞがシュトックハウゼンの意図したところで、今までとは「別の耳」を聴く者に要求している。このたびの企画で長い眠りからさめた20世紀の古典が、おのれの聴覚の限界を知れとばかりに、現代音楽の多様性に埋没しているわれわれの耳に生々しく響いてきたのである。

 もう一つ、再三指摘されている思うが、この曲はオーケストラの配置上、聴く者の位置によってまったく異なった曲のように聞こえる。従来の「コンサートを聴く」ということが共通の音楽体験をもたらすという概念を覆し、一人一人が異なる体験をし作品と聴衆の関係は1対1となる。
 この空間性は現在の音響作曲法とは似て非なるものだ。
 このように根底で既成概念を破壊しようという意志が、シュトックハウゼンが今なお新しさを失わない所以であるのかもしれない。

 さて、実際に今回演奏した人のコメントを頂くべく画策してるんですけど未成功。ただ、昔は某N響も決まり切った曲をやっていればよかったのに、最近は次から次へと新しい曲をやらないといけないから大変らしいですよ。

 ちなみに今回、3人の指揮者の要となる中央のオーケストラIIを振ったスサンナ・マルッキはフィンランド出身の御歳40歳の才媛。アンサンブル・アンテルコンタンポランの現在の音楽監督。現代音楽のエキスパートらしい。

 この曲、本場ドイツや欧州では比較的演奏機会があるようだけど、日本では先日の演奏が日本初演から35年ぶりの再演で次に日本で演るのは一体いつになるのやら。


 10年前にサイモン・ラトルが中央のオーケストラを振った時の映像がYoutubeにあるので、こちら(「石版!」カールハインツ・シュトックハウゼン《グルッペン》)からお楽しみ下さい。

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