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2010/01/01

ルイジ・ノーノ:断片-静寂、ディオティーマへ

 元日からノーノというのも何だが、CDの整理をしていたらギドン・クレーメルの演奏による「未来のユートピア的ノスタルジー的遠方」を見つけたので、他の作品も少し聴いてみる。

 1曲目の「断片-静寂、ディオティーマへ」はノーノには珍しい弦楽四重奏のための曲。タイトルの通り音の断片と静粛が交互に織り交ぜられている。静粛の中を時々切り裂くようなヴァイオリンが印象的。
 ディオティーマとは、プラトンの「酒宴」に書かれている女性で、「ゼウスに尊ばれる女」(=知者)の意味で、ソクラテスに愛知の教説を伝授した女性らしい。
 演奏はアルディッティ・カルテット。

 2曲目の「夢見ながら、進まねばならない」はクレーメルの「未来のユートピア的ノスタルジー的遠方」のカップリング曲でもあるヴァイオリンのデュオ。クレーメルのアルバムではタチアナ・グリンデンコが相方を務めていたが、ここではアルディッティ・カルテットの二人のヴァイオリニストが演奏している。
 この曲のタイトルはスペインのトレドにある修道院の回廊に書かれた言葉「歩く人よ、敷かれた道はない、夢見ながら歩かなければならない」(理想を胸に道なき道を歩けという意だと思う。同時期に書かれた「進むべき道は無い、だが進まねばならない―アンドレ・タルコフスキー」にも同じ言葉が使われている)
 CDジャーナルには、「20世紀の重要な作曲家の一人であるノーノ。彼の最後の作品「進まねば…」に,私たちはいったい何を聴くだろう。あまりに痛切で冷利な音の,唐突な発生と沈黙。そこに感じられる強靭な意志の存在。私たちの時代は,そうした意志を拒んではいないか?」とある。
 終生ユートピアを夢見た熱狂的な共産党員だったノーノが晩年、共産主義陣営の現実に絶望しながら、修道院に書かれたある意味宗教的なフレーズを用いながら作品を書き続けた胸に去来するのは、希望だったのか絶望だったのか、今となっては知るよしもない。

断片-静寂、ディオティーマへ

未来のユートピア的ノスタルジー的遠方

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