カテゴリー「文化・芸術」の9件の記事

2009/12/07

<事業仕分け>クラシック音楽関係者8人が反論

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091207-00000052-mai-soci

<事業仕分け>クラシック音楽関係者8人が反論
12月7日18時56分配信 毎日新聞

 政府の行政刷新会議の事業仕分けに対し、クラシック音楽関係者8人が7日、東京都内で記者会見して「緊急アピール」を行った。「友愛の精神は芸術から」と銘打って、「明確な文化立国のビジョンを示さないまま(日本芸術文化振興会の予算などを)大幅に縮減したことを危惧(きぐ)する」などとしている。

 ピアニストの中村紘子さんは「芸術文化は人間そのものを育てること。人間を育てるには時間がかかる。1、2年で効果が出るものとは違う」。指揮者の外山雄三さんは「少しずつ我慢してなんとかなるなら我慢したいが、オーケストラはもう限界」と述べ、作曲家の三枝成彰さんは「助成が削減されると、地方のオーケストラは存在できなくなる可能性がある。そういう意味がわかっていたのか、非常に疑問を感じる」と語った。【油井雅和】

 音楽関係も仕分けの対象になっているとは知りませんでした。うっかり。
 助成金の配分が偏っていて本当に必要なところに届いていないという問題はあるものの、文化を切り捨てる仕分け人の発言には目を覆うものがある。

 まぁ肯けないこともない話もあるが全体的には他の仕分け同様、議論が乱暴すぎる。ただ因縁つけてるとしか思えない所も・・・。
 要は小泉改革の構造改革、民営化路線と同じではないか。郵政は再国有化しておいて、他の分野は民間の自由競争に委ねるというのはどういうことか?変な所で小泉構造改革を継承したまま。
 とにかく事業仕分けの大目的が目先の財政を改善したいだけの財務省とマニュフェストに書いた人気取り政策の財源をひねり出すことにあるのだから。
 だけどなぜか仕分けパフォーマンスは民主党支持者には概ね好評のようですよ。既成秩序を破壊するのは快感ですからね。ただ、破壊した後に何をやるのかまったく展望がない。漠然とうまく行くだろうと楽観的に考えているだけっぽい。ダメな官僚が作った政策をひっくり返しただけで、ダメな官僚が別の名案を考え付くとは思えない。そう言えば小泉元首相も「ぶっ壊す」と盛んに言ってましたっけ。
 文部科学省も猛省して文化助成のあり方について真剣に考えてほしい。JASRACとか何とか文化財団に天下りしてる場合ではないですよ。

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2009/11/04

人類学者レビストロース氏死去=構造主義の父-100歳

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091104-00000013-jij-int
人類学者レビストロース氏死去=構造主義の父-100歳
11月4日1時48分配信 時事通信

 【パリ時事】20世紀を代表するフランスの文化人類学者・思想家で、西洋中心型の近代的思考法を内側から批判する「構造主義」を発展させ、「悲しき熱帯」「野生の思考」などの著作で知られるクロード・レビストロース氏が10月30日死去した。100歳だった。家族に近い筋が3日、AFP通信に語った。
 ブリュッセルでユダヤ系フランス人の画家の家に生まれ、パリ大学で法学と哲学を学んだ。1935~39年サンパウロ大学に赴任し、ブラジルの先住民社会に関する民俗学的調査に没頭。41年、ドイツ占領下のフランスを逃れて渡米、構造主義の言語学者ヤコブソンと知り合い、影響を受けた。
 ソシュール、ヤコブソンらの構造言語学の方法を文化人類学に導入、構造人類学を構築し、ブラジル滞在中の体験を盛り込んだ名著「悲しき熱帯」(55年)で脚光を浴びた。
 59年高等教育機関コレージュ・ド・フランスの社会人類学講座の初代教授となり、「野生の思考」(62年)を発表。この中で「未開」とみなされた社会の根底に独自の「構造的」知が潜んでいることを明らかにし、西欧中心型の思考体系に根本的反省を促した。
 レビストロース氏の思想は、人類学の域を超えて人文社会科学全般に影響を及ぼし、「構造主義の父」と呼ばれた。実存主義をとなえた哲学者ジャンポール・サルトルとの論戦でも知られた。  最終更新:11月4日6時44分

巨星墜つ
というか、まだ生きてたんですね。フランス現代思想ヲタになりかけた身の上としてはちょっと寂しい限り。
「悲しき熱帯」は学術書というよりもエッセー的に読むのが吉。
それにしてもレビストロースとは一体。。。レヴィ=ストロースと言わなきゃ通じんじゃないか。

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2007/04/12

齋藤茂吉 赤光

 大分前に齋藤茂吉の「赤光」を打ち込んだのだが、放置状態になっている。

 ホントは青空文庫に届けないといけないのだが、青空文庫のデフォルトではJIS第3第4水準の漢字は使っては行けないので、それを抜くのが面倒くさくてそのままになっている。
 取りあえずこの場で公開だけしておく。もし誤りやJIS3,4水準の漢字を見つけたら教えて下さい。

初版「赤光」

「赤光」

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2006/09/11

御萱堂(ごけんどう)

 我が家は今月から3ヶ月は讀賣新聞だそうで、コボちゃんの低脳ぶりや軽薄短慮な脳軟化症的保守的言説にうんざりしているが、日曜日のドナルド・キーンの連載で『御萱堂』なる言葉を知る。
 古代中国では、年老いた母親は北側の離れ(これを北堂という)に居を構える習慣があり、それを転じて他人の母親を称して「御北堂様」と呼ぶ。その北堂に萱草を植えたことから「御萱堂様」とも言うらしい。
 もっと易しく言えば「御母堂様」だが、この「堂」は北堂を意味していることは余り知られていないだろう。

 趣があって風雅な呼び方だけれども、典籍に親しくない人には通じない。Googleで「御萱堂」を検索しても、森鴎外訳の『即興詩人』がヒットするのみだ。

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2006/09/04

シングルマザー

 不覚にも知らなかったが、俵万智がシングルマザーになったそうだ。

 昨年の末に出版された歌集『プーさんの鼻』にそのことが歌われている。

 思えば、『チョコレート革命』で朗々と不倫の恋の歌を歌い上げてから幾年、あぁ、やっぱりというか、そこまでやっちゃったのか、というのか、ある種の感慨を覚えてしまう。
 シングルマザーとなっても、自由業ならまだましとは言え社会的な色々な制約はあるだろうし、それよりも、人として子供に対する責任とか色々重たいものがあるだろうに、それを一身に引き受けようという覚悟の程が見事というか、かといって外野にいる者が無責任に何かを語ることも憚られる。

 やはり、どこか切ないような気持ちがあるようであり、また母として決然とした意志のようなものも感じられる歌二首。

「どこまでも歩けそうなる皮の靴いるけどいないパパから届く」

「もう会わぬと決めてしまえり四十で一つ得て一つ失う我か」


 『チョコレート革命』はコチラ↓

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2006/02/18

不倫の歌

 俵万智の『チョコレート革命』を少し読み進めて思ったのだが、男の場合は恋の歌は歌っても、進行中の不倫については歌わないのではないだろうか。

 これは単に自分に不倫した実体験がないからそう思うだけかも知れないが。

 まぁ不倫が現在進行形だったら客観視して歌にするって、なかなかできそうにもないけど。

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ナジャ

 若返ったついでに、アンドレ・ブルトンの『ナジャ (NADJA)』を再読(しかも原書)&打ち込み中。

 シモーヌ・ド・ボーヴォワールは『第二の性』の中で、文学に描かれた中で最も自由な女性だと書いているらしい。知らなかった。

 この間から恋人が欲しいとか思っていて、理想を問われれば「可愛くてスタイルが良くて100%自分のことを理解してくれて100%無条件に自分を受け容れて欲しい。なおかつ二十歳前後」とかうそぶいていて、これはナジャしかいないかも。と思ったが、ナジャは寧ろそんなことを超越して自由で我が儘で男を翻弄しそうだ。

 美とは痙攣的で、さもなければ存在すまい。
     La beauté sera CONVULSIVE ou ne sera pas.

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2006/02/17

俵万智と黛まどかの差異

 戀の哥もとい恋の歌を読みたい(詠みたい)と思ってたら、どうも記憶の中で俵万智と黛まどかがゴッチャになってる事を発見。
 少しおさらいしなくては・・・

 俵万智の不倫を歌った歌集は『チョコレート革命』だっけ?
 どうも不倫に関しては、男の立場と奥さんの立場からも考えてみないと片手オチだよなぁ。少し研究しよう。

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2005/11/19

金時鐘インタビュー~朝日新聞から~

 11月12日の朝日新聞夕刊の文化芸能欄に、詩人の金時鐘氏のインタビューが載っていた。

 今の日本の現代詩の状況に苦言を呈していて、妙に心に残った。

岩盤のようなこの世に生きて、誰もがひっかき傷のような生の痕跡を残したいと思う。それが詩です。詩は万人によって書かれるべきものであり、人は自らの詩を何かに託して生きています。

日本の現代詩は優れて私的な内面言語をこね回し、自己と対話することに終始しています。

純粋さが詩の命ならば世俗にまみれた純粋さを見つけ出さなければ。さもなくば詩は観念の申し子にすぎない。

 ともすれば、社会主義リアリズムやプロレタリア何とかやら在日やらとかのレッテルを貼られがちな文章かも知れないが、ものを書くということ、小説や詩を書くということはどういうことであるのかの真実の一端を突いてはいないだろうか。
 そして、詩人というのは、言葉と格闘し、それでも言葉にし、詩を書き続けずにはいられないという、業を背負った人たちだ。

 現代詩など、20年以上読んではいないが、たまには読んでみようかとも思う。
 読書の秋でもあるし。

 インタビュー全文はコチラ

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