2005年11月12日 朝日新聞夕刊 風韻

万人がもつ詩を表す責務

詩人  金時鐘

 朝鮮半島の分断に反対して島民が蜂起した「済州島四・三事件」で官憲に追われ、日本へ密航してから56年。非母国語を操りながら、自分にとって日本語とは何かと問い続ける。半世紀近く前に発した言葉「在日を生きる」は、慣用句となった。

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 9月に旧満州の北間島[プツカンド]まで尹東柱[ユンドンジュ]の墓参りに行ってきました。治安維持法違反容疑で捕まり、敗戦の半年前に27歳で獄死した非命の詩人です。抵抗詩人と呼ばれますが、失われてゆく朝鮮語の哀惜の念から、自分の言葉を守ろうとしただけです。墓の前に額[ぬか]ずき、彼の「自画像」という詩を読みました。

……井戸の中には 月が明るく 雲が流れ 空が広がり
青い空が吹いて 秋があって
追憶のように 男がいます

遺骨が硬い凍土に埋められた時、参列者が読んだ詩です。あたりには野バラが咲いていました。

 去年は尹東柱の訳詩集『空と風と星と詩』(もず工房)を出しました。総身うぶ毛で覆われているような、なよなよとした叙情感を訳出するのに、硬くごつごつとした僕の日本語はそぐわない気がしました。僕の初めての選詩集が近く韓国で出ますが、僕の日本語も朝鮮語になりにくいのです。敗戦で朝鮮人に立ち返って以来、日本語との対峙というか、流麗で美しい表現から切れることを、自分に課してきましたから。それでかたくなな日本語になりました。

 小学校5年生の時、海辺の遠足でひもを首に巻きつけられた子犬を見かけました。柿の渋につけた丈夫なひもです。成長したら食い込むのではないかと帰宅してからも心配で、友人に話したら「それがお前の詩なんだ」と言われたことがあります。

 岩盤のようなこの世に生きて、誰もがひっかき傷のような生の痕跡を残したいと思う。それが詩です。詩は万人によって書かれるべきものであり、人は自らの詩を何かに託して生きています。料理人にはいい料理を作りたいという一念がある。それが詩なんです。詩人はたまさか言葉による詩をもっているにすぎない。詩人には、言葉にできないものを抱えて生きるその他大勢の人々の思いを表現する責務があります。私がつむぎ出す詩の言葉は私個人の思いですが、その他大勢の人々に支えられたものでなければなりません。

 日本の現代詩は優れて私的な内面言語をこね回し、自己と対話することに終始しています。生活実感に乏しくリアリティーがなさすぎる。社会的、政治的な詩を書けというのではありません。自分も、様々な悩みや矛盾を抱えて生きるその他大勢の一人であると認識したら、内面言語に執着してなどいられません。純粋さが詩の命ならば世俗にまみれた純粋さを見つけ出さなければ。さもなくば詩は観念の申し子にすぎない。

 時代が大きくカーブを切り、人類史的に見ても誇るべき憲法が損なわれようとしているのに、現代詩の表現に時代の陰りはほとんど見えません。不安なおののき一つ見えない。今の日本ほど詩が軽んじられている国は地球規模で見てもありません。

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 虚弱児だったので、朝鮮の慣習で泉のほとりにある岩の神様に預けられた形で育てられた。だから幼名は岩[パウ]。堅固な意志は、確かに岩を思わせる。 (インタビュー・白石昭彦)


 キム・シジョン 29年朝鮮・元山市生れ。78年の『猪飼野[いかいの]詩集』と83年の『光州詩片』が『金時鐘詩集選 境界の詩』(藤原書店)で復刻。